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入院中のまとめ 5
3月29日 生後2日目
夜間も授乳毎に「ゆっち」を連れてきてもらう。何とか起き上がって授乳するが、自分の体勢を維持するのも辛いし、「ゆっち」がきちんと起きてくれないため、吸えていない。
朝になり、少しだけ起きていられるようになったので、自分のベッドに「ゆっち」を寝かせてもらい初めてオムツ交換をする。
授乳では、口が大きく開かないため乳首に吸いつく感じになり右の乳首の先に水泡ができてしまった。日中は児と同室にしてもらう。
「ゆっち」は産まれた瞬間から涙を流して泣く子で、泣くたびに両目から涙でシーツが濡れてしまうほど「キィー」と奇声に近い声を出して泣く。
午前中に背中に入っていた硬膜外チューブを抜く。シャワーに入った。今まではチューブからの薬で創痛はなかったが、抜いて1時間ほどで傷の周りが熱く燃えるような痛みが出てきた。付き添われて歩行してみたが、左大転子部の痛みと腰や骨盤周りが砕けそうな感じがする。
午後から座っていても傷が痛み、泣いている「ゆっち」を抱こうとしたときに左足が全く動かなくなり激痛が走った。抱くこともできないのでナースコールで担当者を呼び、「ゆっち」を新生児室に預け、私は座薬で痛み止めを使った。このあともとても歩ける気がしないので、トコちゃんベルトを巻いて過ごすことにする。目の前で我が子が泣いているのに、抱くこともできないと思うと、情けなくて泣いた。(産後はマタニティーブルーになり何かあるたびに泣いていた・・)
15時過ぎから「やっち」が来てくれて、動けない私の体を拭いてくれたり、洗面所へも自分ではいけないので歯磨きの準備をしてくれたりと世話をしてくれた。
夕方からは落ち着き「ゆっち」を連れてきてもらう。「ゆっち」は1時間ごとに泣き授乳するが、ほとんど母乳は出ていなかった。
消灯後は新生児室に預かってもらい、私は痛み止めを飲んで休む。しかし、廊下中に「ゆっち」の「キィー」という鳴き声が響いて、申し訳ない気持ちになった。

3月30日 生後3日目
夜間は授乳毎に連れてきてもらうが、「ゆっち」は全く起きなくてオッパイを飲まない。4時過ぎから痛み止めが利いて起きていられたので、ずっとそばにいるが、今度は1時間ごとに泣くがほとんど飲めていない。段々口唇の乾燥が気になってきた。
毎朝8時過ぎには児の体重測定のためいったん新生児室に連れて行かれるのだが、この日連れてきてくれた担当者は少し重い表情をしながら「ゆっち」を連れてきた。
新生児は生理的体重減少というものがあることは知っていたが、この日の「ゆっち」は10%以上の-11.7%で2870gまで減少したということだった。母乳も生後3日目くらいから出始めることも知っていたが、それを待っていては「ゆっち」が脱水になるということで、糖水20mlを3時間ごとの授乳の後与えることになった。今思えばミルクでもよかったのだが、はじめは母乳育児を頑張りたいと言っていたので、オッパイと糖水という選択になった。実際に尿や便の回数も減っていたので、脱水になり始めていたのだと思う。この時も、オッパイが出ないことで申し訳ないと思い、泣きながら助産師の話を聞いていた。
午後からは「やっち」が面会に来て、体重減少のことを伝えた。母乳育児をしたいことを知っているので糖水を与えることも受け入れてくれたようだ。
友人夫婦と妹夫婦が面会に来てくれた。疲れたが少し気晴らしができた。小1の甥っ子が「ゆっち」をとても可愛がり、抱っこもして帰って行った。
この日は消灯を過ぎても、ひたすら3時間ごとに乳首をくわえさせ糖水を与えていた。しかし、いったん体重が減ってしまうと、体力も落ちてしまって泣かないし起きないしということで、ずっと一晩中乳を出していたような気がする。
私の体は、1日3回痛み止めを服用してなんとか自力で歩行できるまでに落ち着いていた。下肢の浮腫みがピークで寝ていても足に水分が行くのがわかり、指がちぎれそうな痛みを感じた。

3月31日 生後4日目
夜間同室で過ごす。「ゆっち」の便が出ていないため助産師が綿棒浣腸を行う。多量に出た。くわえるだけのような授乳と糖水で朝の体重測定を迎える。1日で58g増加していた。糖水だけでは体重は増えないということで、なんとか母乳も出てきて吸えてきているのではないかということで、この日も3時間毎の授乳と糖水を与えることになる。
いったん寝てしまうと、何時間も飽きない「ゆっち」を相手にこの日も1日中乳を出して過ごす。徐々に両乳房に熱感を感じ張ってきたようになった。
この日は、午後から有給休暇をとって手続きや書類提出を終えた「やっち」と病院からの「お祝いディナー」を頂いた。しかし、大きな総合病院の病室から食堂までは渡り廊下を挟んだ別館でとても遠かった。「ゆっち」を預け二人で歩いて行っても、骨盤から下が砕けてしまうのではないかと思うような激痛を感じながら歩いて行った。痛みのせいで、味も覚えていないし、二人きりの食事もあまり楽しめなかった。痛みをこらえて病棟に戻ると、「キィー」という「ゆっち」の泣き声が響いていて小走りで行くと、やっぱり「ゆっち」だった。私の顔を見ると泣きやんで涙も止まった姿を見て、ディナーに行かなきゃよかったな・・寂しい思いをさせてごめんねと思った。

4月1日 生後5日目
日付が変わった頃から、全く寝ない「ゆっち」にオッパイと糖水を与えながら朝になった。ベッドに戻すとすぐ泣くので、同室の人たちに迷惑がかからないように、抱っこして足を引きずりながら廊下を散歩していた。こういうときは、個室のほうが良かったなと思った。
この日は、私と「ゆっち」の退院前検査があった。「ゆっち」は少し黄疸かかった色だったが、採血や経皮的な測定では問題なく退院が決まり、私も問題はなく抜糸も終えた。私の体重は出産前から-3.5kgだった。「ゆっち」の体重は1日で50g増えていた。
この日もオッパイと糖水とマッサージで出た母乳(搾乳)を与えることになった。夕方、1回でどれだけの母乳を飲んだか調べてみると、12g体重が増えていた。口が大きく開かず、上手に飲めていない。母乳だけでは足りないので、翌日退院してからも糖水を続け、4日に母乳育児外来を予約した。

4月2日 生後6日目
この日は数gしか体重が増えたいなかったが、減少はしていなかった。私も創部・内診でも問題はなく、痛み止めを処方してもらい退院準備をした。10時過ぎには「やっち」が迎えに来てくれて、会計が出来上がるまで荷物を車に何度も運んでくれていた。最後の授乳をしてから、車に移動したかったが、なかなか「ゆっち」が目を覚まさず先に着替えをしてやっと目が覚めた。
帝王切開で生まれた児は入院扱いになるということで、二人分で40万円弱(これは思ったより安くて助かった)を支払、チャイルドシートに揺られ我が家へ「ゆっち」と帰った。
ここの総合病院は、初産の経膣分娩で5日目退院、経産婦で4日目退院、帝王切開で6日目退院だか、私は産むまでが長かったので、10日間も入院していた。
でも、親子二人とも無事に一緒に退院できたのでよかった。

これで、10日間の長い入院のまとめを終わりたいと思う。

このあと、4日の母乳育児外来に行くまでの間私も「ゆっち」も一睡もできず母乳と戦っていた。母乳に気を取られ、体温が低くても気づかなかったり、おむつかぶれも目に付かなかったりした。
4日の外来では、体重は増えていたが1日10gほどだし、私の疲労がピークになっていたので、母乳だけの育児にこだわらず、ミルクと併用して1ヶ月健診までにもう1回母乳育児外来に行くことにした。そのあとは、「ゆっち」の空腹も満たされ寝るようになったし、元気になって吸ってくれるから母乳も滴るようになったし、だいぶ体も楽になってきた。まだまだ、おちょぼ口で完全に飲みきれないので搾乳もしていてオッパイだけで1時間もかかるが、退院してきた日に比べたら、ふっくらしてきているので嬉しい。

出産を経て私の体は、あれほど辛かった匂いに敏感なことや、肌や髪のカサつきただれは良くなりツルツルしてきた。女って本当にホルモンに支配されているんだなって実感した。退院してきて、動くようになったからか、母乳が出るようになったからかはわからないが、体の浮腫みが取れ退院して2日で4kgも減っていた。





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[2008/04/11 18:25 ] | 入院・出産 | コメント(4) | トラックバック(0)
入院中のまとめ 4
続きです・・

3月28日 生後1日目
口渇が強くうがいを希望して、準備してくるという助産師の言葉を聞いて数時間たっても準備はしてくれなかった。麻酔から覚醒していないということで飲水が許可されないまま、ベッド上安静を強いられる。
基本は母児同室だが、術後間もないということで授乳時間の時だけに連れてきてもらうことにする。
消灯過ぎても眠れず、友人などに携帯でメールしていると、廊下をポータブルのレントゲンの機械が通り過ぎる音が聞こえる。「まさか、うちの子に何かあってレントゲン撮るのかな?」と心配になる。(看護師だったからか、音だけでどんな機械が通ったかわかってしまった)
この日担当だった若い助産師は術後患者の看護というか、動けない人の看護をする・自分だったらこうしてほしいのではないか?という気持ちが全くない人だったらしく、ナースコールも届かない位置にあり、時間的に麻酔が覚醒している頃なので呼びたいけど、下肢も動かない状況で、這いずりまわってなんとかナースコールをして、違うスタッフに水を飲ませてもらった。この時に、チクリと担当者が来てくれなかったことを報告した。
そのあと、何事もなかったように点滴の交換をしに訪室したが、目があっても何の声もかけず居なくなる。数10分して「さっき、赤ちゃんが吐いて、血が混ざっていた。医師が見てレントゲンを撮ったが何ともなかった。明朝には医師から説明があると思う」とだけ私に告げていった。そんなことを聞いたら、心配で眠れないしいまそのことを説明するなら、医師からの言葉で聞きたいし、我が子に会わせてほしいと思った。このタイミングでいうことなんだろうか?と担当者に対し段々不信感が強くなる。
2時30分頃授乳のため「ゆっち」がくる。担当者は「モニター付いてますが、鳴ったら来るので授乳してください」と居なくなろうとするので、「モニターって何?パルスオキシメーターのこと?何%でアラーム設定しているの?」とものすごく怒って聞いてしまった。乳首を舐めるだけの授乳を終え「ゆっち」をまた新生児室に連れて行ってもらう。
朝方少し休め、1日半ぶりの朝食が来たが自力で起き上がれず、また這いずり上がってナースコールで朝食のセッティングをお願いしても、担当者は来なかった。配茶のおばさんにテーブルなどを近づけてもらい、なんとか朝食を終えたころに担当者は来た。ベッドを上げただけでめまいがしたが、彼女は血圧も測ってくれなかった。そのあと、「体を拭く準備をしてきます」「赤ちゃんを連れてきます」と言ったきり、日勤の助産師に変わっていた。
普段なら、まだまだ若いから仕方ないわねとか思うけど、この日はやっと我が子に会えた幸せな夜なのにとっても残念な気持ちで朝を迎えたことで悔しくて泣いてしまった。この担当者のことは、後日バースプランのプレビューとして意見の欄があったので、書かせてもらった。主任は教育が至らなかったと謝罪に来たが、師長は「お箸が取れない些細なこと・・」といっていた。匿名ではなく、こんな苦情が出ているのにそう言ってしまうなんて危機感のない師長だと感じた。

日勤者に変わり、血圧を見ながらベッドアップしてくれめまいがすることなく体を起こせた。体も拭いてもらい、まだ下半身が動かないのでオロのナプキンも変えてもらった。朝の授乳になり、児と母のリストバンドの照合で引き渡しになるのだが、夜の担当者が手術室で「ゆっち」を取り上げたのに、私と「ゆっち」に着けるのを忘れたようで、日勤者が「ありえない・・」と絶句しながら着けてくれた。
午前中の内に小児科診察があり、「ゆっち」の出血は2回あっあが、母体の血を飲み込んだものと、児自らの出血があったが今は落ち着いていると説明を受けた。

午後から私の尿管を抜き車いすでトイレに通えた。麻酔の影響と骨盤のゆるみから立っていることもままならなかった。出産前からの下肢の浮腫みがピークになり弾性ストッキングをはいても改善はされなかった。

夕方会社帰りの「やっち」が面会に来てくれた。私の体調の心配はよそに、「ゆっち」の写真を撮ることに夢中になっていた。

この日の夜も授乳以外は新生児室で預かってもらうことにする。「ゆっち」は乳頭の先だけ力強く吸うが、まだまだ母乳は出ない。
[2008/04/10 17:08 ] | 入院・出産 | コメント(6) | トラックバック(0)
入院中のまとめ 3
またまた、続きです・・

3月27日 41w6d(手術室入室から)
入室してから、血圧計や心電図・パルスオキシメーターを装着し、体位を決め初めに硬膜外チューブを挿入、次に腰椎麻酔を行なった。麻酔科医が、麻酔の効きを確認した後に、ものすごい嘔気が出てきて朦朧としてきた。腰椎麻酔が上のほうまで効いてしまって、血圧が下降したためだったようで、点滴を急速に滴下し少し良くなった。
そんな中、産科医3人がおい布から顔を見せるわけでもなく、「分娩遷延のための帝王切開術を開始します」、「電メス・・」と意識のある私に声をかけないで、開腹を始めた。
手術室の看護師が「もうすぐですよ。胃のあたりを押しだしたら出てきますからね」と声をかけてくれてからは、「やっと、やっとわが子に会えるんだ!」と涙がにじんできて、「ハイ、19時32分出ましたよ」という声と同時に「ゆっち」の鳴き声が手術室に響き渡り、そこからの私は号泣だった。
立会出産ができない代わりに、前日から帝王切開でのバースプランに変更していたため、取り上げられても性別の確認は私自身が行って、取り上げられた瞬間や手術室での「ゆっち」を写真に撮ってほしいとお願いしてあったので、希望をかなえてもらった。
対面した瞬間に「あんたかい(お腹にいたのは・・)。ブチャイクだね」と声をかけてしまった。そのあとは、姫であることを確認し、涙で言葉にはならなかったけど、血液だらけのわが子に握手をしたりキスをしたり、胸の上に乗せてもらって写真を撮った。
「ゆっち」は計測などのため連れて行かれ、そのあとに「パパのいる病棟に先に帰ってますね」と保育器の中に入って行ってしまった。
私は縫合など最後の処置をして、その時に初めて産科医3人が次々と顔を覗かせ「おめでとうございます」と声をかけてくれた。とりあえず、無事に「ゆっち」を取り出してくれたので「ありがとうございます」と返答した。
産まれた瞬間はスタッフみんなから「おめでとう」と言われたけど、ずっと励ましてくれたのは若い麻酔科医だった。
硬膜外チューブは入れたまま、ストレッチャーに乗って20時頃病室に帰室した。

「やっち」は、病棟のロビーでとっても長く感じる時間を一人で過ごしたようで、保育器にタオルで包まれただけの「ゆっち」が戻ってくると、「やっと会えたね」と声をかけ性別を確認させてもらったようだ。ずっと、女の子がほしかった彼なのでとても喜んだのではないかと思う。

私が病室に戻って「やっち」に「オマタ見た?」と聞くと、やさしい顔でうなずいていた。そのあとは、私のバイタルサインや点滴など助産師が確認した後に、「やっち」もそろってカンガルーケアをさせてもらった。そして、左側の乳頭を一生懸命吸う姿なども写真にとってもらった。

22時の消灯過ぎに「やっち」は帰って行った。私は、硬膜外チューブからの薬で痛みはなかったが、麻酔の影響で下肢が自力で動かせずにいた。

その日の夜は、興奮して朝方まで寝付けなかった。


ゆっち 014


ゆっち 016

取り出された瞬間の「ゆっち」です。
[2008/04/10 13:01 ] | 入院・出産 | コメント(0) | トラックバック(0)
入院中のまとめ 2
続きです・・

3月26日 41w5d
この日も起床直後から、LDR室に移りNSTでの監視の下点滴による促進剤が開始となった。「やっち」もこの日は「ゆっち」に会えるのではないかと、朝から付き添ってくれていた。
点滴内容は前日と違う薬になっていた。この点滴も20ml/hから開始し、30分ごとに20ml/hずつ増やしていきMAX120ml/hまで使えるということだった。
11時には120ml/hとなったが、前日のように定期的な張りはなく、陣痛が来るように乳頭マッサージやつぼ押しなどをしてみても、全く効果はなかった。
14時には同じ内容の点滴を更新したが、残り数時間しか使えないので、主治医のT医師が今後の方針として、明朝までに生まれなければ帝王切開の可能性が出てくると話があり、私たち夫婦は承諾し、採血・検尿・胸部レントゲン・心電図と術前検査を行った。
16時まで点滴をしたが、張りや痛みは全くなく、点滴終了となった。
夕方は、広い院内を「やっち」と散歩をしたり、シャワー浴をして過ごした。
20時に最後のNSTを行い、児は元気にしていた。
翌日は麻酔科の都合で、何時に手術室に入室できるかわからないということで、22時の消灯以降絶飲食になる。
「やっち」は二日連続で朝から晩まで付き添っているので、疲れが貯まっているように見える。

3月27日 41w6d (手術室入室まで)
6時30分に起床。7時30分にドップラーで児心音を確認する。この日に強制的に出されるとも知らず、とっても元気な心音がだった。
8時40分に「やっち」来院。9時に手術で介助につくS医師から帝王切開について、説明がある。この時、入室が何時になるかわからなく夕方になるかもしれないので、それまでに人工破膜をさせ陣痛をつけさせたり、何で児が降りてこれないのか骨盤のレントゲン写真を撮ろうかと提案があったが、ここまで来たら、レントゲンを撮ったからといって、出てきてくれるわけでもないし、破膜させたからといってスムーズに陣痛が起きて児が降りてくるとは限らないし、感染のリスクもあるし、もしかしたら、陣痛を感じながら手術室への入室もあるかもしれないと思うと、何時になろうと帝王切開で「ゆっち」を安全に産みたいし、これからの育児を考えると私の体力も少しでも残したいと思い、承諾書にサインをする。
10時に麻酔科の診察を受け、腰椎麻酔と硬膜外麻酔を併用して使うと説明を受け承諾した。麻酔科医の説明では、このあと6時間の手術の後に予定を組んだということだった。早くて16時以降の入室がこの時点で決定となった。
前日夜から絶飲食をしている私には、院内の熱い暖房や術前の興奮で脱水のように口渇を感じるし、もともと血糖値の低い私は、空腹なため自分で低血糖を起こしているのが自覚でき冷汗や意識が遠のく感じがしていた。体を起こしていられず、ベッドで横になり時間を待つ。(この様子は、やっちの記事だと、空腹のためイライラしていると書かれていたが、結構具合が悪かったのにわかってもらえなかったらしい・・)
実際イライラはしていたが、空腹のためではなく実母の面会があったためであった。どうしてもどうしても会いたくなかった実母が、やっと「ゆっち」に会える日に来たことで私はパニックになり病室で泣き叫んでしまった。実母は午前中には産まれていると思い面会に来たようで、短時間しか時間が作れなく、孫の顔を見ることなく昼過ぎには帰って行った。
泣いてしまった時に、同室の人が帝王切開への恐怖で泣いていると思ったらしく「怖いのははじめだけ。すぐにかわいい赤ちゃんに会えるよ。会ったら恐怖も痛いのも忘れるよ」とカーテンを開けてわざわざ声をかけてくれ、数日前に生まれた自分の赤ちゃんを見せてくれた。
午後からは点滴を入れ替えたり、剃毛したりと徐々に入室の準備をしていく。
18時45分やっと前の手術が終わり、私の入室の番になった。
ストレッチャーに移り、エレベーター前まで「やっち」に見送られた。
[2008/04/09 18:09 ] | 入院・出産 | コメント(2) | トラックバック(0)
入院中のまとめ 1
今日で「ゆっち」は生後12日目です。少しずつ私の体調も落ち着き、「ゆっち」も我が家の環境に慣れてきたようで、やっとPCの前に座ることができました。

子どもの名前ですが、漢字は伏せておきますが「ゆう」ちゃんと名付けたので、HNは胎児名同様「ゆっち」としたいと思いますので、皆さんよろしくお願いしますね。

忘れないうちに入院中のまとめをしたいと思います。客観的には「やっち」のリポートがありましたが、自分のメモ代わりにも残したいので記したいと思います。


3月23日(日) 41w2d
この日も「やっち」と6時間以上かけて散歩をしたけど、全く産気づかず夜中に神社へ最後の安産祈願をして休む。

3月24日(月) 41w3d
予定の誘発分娩を行うため、バスに乗り大きな入院荷物を一人で抱え入院する。
大部屋が開いていないということで、二人部屋を一人で使うことになる。オリエンテーションを受け、着替えて早速NSTを行う。
全く張りがなく、内服の促進剤6錠を1時間ごとに服用する。服用前後にはドップラーで胎児心音を確認していく。児は元気である。
毎時間ごとではないがNSTで張りも確認する。鈍く張るだけで陣痛には繋がらない。
15時には6錠すべて飲み終わり、シャワー浴のあと子宮口を広げる処置のため海綿(?)でできた棒を8本挿入する。思った以上に痛いが、分娩はこんなもんじゃないんだろうなと思い我慢する。
抗生物質を処方され、夜間の出血・破水・陣痛があった場合は報告するよう言われ就寝となる。
夕方、仕事を終えた「やっち」が面会に来てくれる。初めてNSTで児の心音を聞いて感動していた。

3月25日(火) 41w4d
夜間は腹部の鈍痛で何度か目が覚めたが、陣痛にはならず朝を迎える。「やっち」が朝から付き添ってくれる。
洗面後産褥ショーツにはき替え、LDRに部屋を移りNSTをしながら朝食、その後すぐに点滴で促進剤が開始となる。NSTは点滴中ずっと監視のため必要ということ8時から16時までつけたままベッド上で過ごす。点滴は20ml/hから始まり、児のストレスがなければ30分で20ml/hずつ上げていくとのこと。
9時には子宮口に入っていた棒を取り除き、バルーンを入れる処置をしたが子宮口が4cmまで開き入れても入れてもバルーンが抜けてしまうため、バルーンは入れないで点滴で陣痛を待つことになる。このときも、何度も子宮口をグリグリされ痛かった。
10時には60ml/hとなり、定期的な張りが出てくる。12時にはMAX120ml/hとなり、張りの感覚が短くなり、じっとしていられないほどの痛みも出てきた。しかし、この日の点滴は注入量が決まっているらしく、予定量入った後は陣痛が遠のいてしまった。その後、NSTを外し、フットマッサージやつぼ押しなどしても、陣痛は来ず夕方には大部屋に部屋を移した。夕方の内診でも子宮口は4cmもままで、全く児が降りてこないで状況だった。



「ゆっち」がぐずり始めたので、続きはまた後日・・・


[2008/04/08 12:42 ] | 入院・出産 | コメント(6) | トラックバック(0)
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